石丁場と言っても有名な大坂城の丁場ではなく、明治から昭和中頃まで吉野石として採掘販売されていた丁場です。
北側丁場
吉野から神浦へ行く道の途中から東手に入るとありました。

端材が数多く残っていました。

ノミの跡が残る石

これはドリルの跡か。

これはこの上の吉野段山で別荘地開発をするための送水管かなと思います。1974年製造と記された部品がありました。
南側丁場
こちらも道路から斜面を上がりました。ここは石垣が積まれているのを遠くから眺められずっと何の跡地かと疑問に思っていた場所でした。

石の採掘跡、この広場の周囲に石垣が積まれていました。

何かを祀った跡

石垣には謎の空間もありました。

上側に廻るとノミの跡が残された石がありました。

平坦な山頂部を東へ行くと別荘地跡の道に出て庭石を出すためと思われるワイヤーロープが残されていました。

北側丁場で見た送水管を山頂部でも見かけました。東へ延びていましたが端までは確認していません。
なお訪問とこの記事を書くのにこちらのnoteを参考にさせていただきました。